2013/11/04


“結局、そういう人は「聖書、聖書」と言いながら、自分の都合で守るべき教えとそうでないものを区別しているものなのです。こういう人たちは……  (1)律法の中で、自分が守り切れない厳しいものは「神はこのような不完全な私をも赦してくださいます」などと言って逃れ、  (2)自分が守る必要を感じないものについては、「これはユダヤ教の律法であって、キリスト教はこれを克服した」などと言って排除し、  (3)自分でも守れるな、これは、と思ったものについては、「イエスは律法の一点一角も消え去ることはない、と言われた」(参照:マタイによる福音書5章18節)などと言って、頑固に順守を主張したりするわけです。   つまり、判断をしているのは自分の主観であって、聖書はそれに後から理由をつけるために都合よく利用しているだけなのです。”

- 下世話なQ&A「キリスト教と同性愛:1」
http://ichurch.me/gesewa/c_homosexual-1.html