2013/10/29

“1983年、先生は当時銀座のバーのマダムであった細木数子女史(その後テレビで占い師として有名になる)と結婚した。当時先生は85歳で真偽のほどは定かではないが、認知症の症状があったといわれ、細木女史が無理やり結婚誓約書に署名させたと噂になり、高弟を自称する財界人は、先生の晩年を傷つけまいと鳩首協議を重ね、極秘のうちに連れ出し、実兄のいる高野山にひそかに隠したのである。

しかし、細木数子女史は高弟を自称する財界人よりもはるかに度量が大きく肝(きも)がすわっていた。女史は先生が行方不明になると警察に捜索願を提出した。作戦を実行した財界人は、下手をすると刑事罪に問われかねない事態に狼狽し、簡単に居所を明らかにして一件落着となった。

かつて、蘭学者・高野長英の逃亡を、全国の陽明学を学んだ人々が連携して命懸けで助けた。高野長英の逃亡に関与すれば、死罪もしくは永久牢の時代である。それに比べ、先生の高弟といわれる人々の勇気のなさに愕然としたことを記憶している。

その後細木女史は、財産目当ての結婚とは思われたくない、先生から頂いた書以外は全て返却すると、東京地裁の調停に応じた。

先生の死後、追悼集が出版された。師と仰ぐ弟子たちの美辞麗句が並ぶ追悼文の中で、唯一父・良一は、「安岡さんは謹厳実直な学者であった。晩年の恋愛事件がなければ淋しい人生であったに相違ない」との異色の一文を掲載した。”

- 「陽明学は死んだのか」-日本財団会長 笹川陽平ブログ
http://irregular-expression.tumblr.com/post/63724630560/1983