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大勢の前でガシガシ質問するとか、そういう機会をアピールのチャンスと捉えて率先して「俺を見て!見て!」とやるアメリカ人の、そういうところが、多くの日本人の目には、「Too Much(やりすぎ)」、となる感覚も、わからなくもないですけれどね。
でも、アメリカ社会ではそれが普通だから、直接参加してるところを自分が率先して相手に見せてゆく、というのを努力してやるようこころがけてないと、「無視されるか、忘れ去られてゆくだけ」なんですよね・・・。
でも、そんなアメリカ社会でも、相手に無礼という印象を残すひとは、やっぱり、いるわけ。「熱心な参加者」という印象を与えるひとと、「無礼なやつだ」と思われるひととの間には、大きな違いがやっぱりあるんよね。疑うことは疑うがリスペクトは一貫している、という伝達には経験と訓練が要るね。
「いまオメエのその質問と本題が何の関係があるんだよボケ」ってのは、アメリカ人相手には実際よくあるw で、日本はその逆で、「何故だーーれも質問しないのかなーー・・・」と。でも日本人が質問しないから理解してる、ってわけでもないんよね。両極端なんよね。
んでもって「なんで今そんな質問してんだ、コイツ?」てのがやたら多いんで(笑)アメリカ人てバカよね、という結論に持っていきがちの日本人にもしょっちゅう会うんだけど、ジーとだんまりしてる相手を「こいつ頭悪くて理解できてないんだな」と思われてるのが日本人という、そういう構図なんよねw
わたくし個人の経験では、「むむっ、こいつデキルな」と思わせるひとは、ガシガシ質問タイプだろうが寡黙タイプだろうが、そういう表面的なフォーマットはあんまり関係ないけどね。その社会でうまく適合するためには、それぞれの表現方法とリスペクトの払い方が、それぞれにある。
これは、「間違う」ことに対して【減点】ばかりを日本の義務教育でやってるからだと、わたしは思う。日本の子どもには、間違うことに対して恐怖心があると思う。RT @lisboacafe: @TrinityNYC 何か質問は?と聞いた時にはシーンとしてて、終わってから個別に聞いてくる
何かやってもし間違ったら、その結果「減点」だけされるのなら、何もしない、ってのが、いちばんヘッジ効果は高いですからね。
間違ったからこそ次は正しい答えを一発で見つけられるようになったんだよ!という態度が、教育現場のみならず、日本社会には、全体的に欠けている。
アメリカ生活の何が楽チンかというと、「間違う」ことへの恐怖心を日本ほどは抱かずにいられるってことかな。どんなにアホな質問を繰り返しても、周りからアホと決め付けられることもないし、逆に先生から「いっぱい質問してくれてありがとう」と言われるとかさ。日本ではそういう経験なかったからね。
@TrinityNYC
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- Thank you for your good question 英語圏の社会はどんなにアホな質問を繰り返しても周りからアホと決め付けられない(在米30年とりんち姐さん) : 市況かぶ全力2階建