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ベトナム人たちがおおい町に行って、ベトナム人たちがやっている料理屋で、友達のもじんどんがうらやましがらせたフォーを食べて、ウガンダやエチ オピア、ジンバブエからやってきたいろいろな土地のアフリカ人たちが日がな一日コーヒーを飲みながらだべっている店で、なぜかエチオピア人が淹れると チョーうまいコーヒーを飲みながら聞くともなしにアフリカの国々の噂話を聞く。
そういう毎日が普通になると、とてもではないが、退屈な単一文化の毎日にはもどれない。
まだ人間が遠距離を移動する手段をもたず、英語という共通語ももたなかった頃は、
神様だけがこの光景を眺めて、「世界は多様でよいなあ」と雲の上で寝転びながら楽しんでいたのだとおもうと、神様と名前のつくひとは、なんという嫌なやつだろうと考える。
でもいまは人間も、たくさんの人種の、外形が異なる美しさを眼でたのしみ、言葉をかわして、そんな考えかたがあったのか、と眼をまるくして驚き、笑 い転げて、いやしいことをいうと、ありとあらゆる種類のおいしい食べ物が15ドルもだせば食べられて、なんという良い世の中だろう、としみじみ考える。
子供のときの「真っ白な世界」のままだったら、と思うとぞっとする。

 
- 花束を、きみに | ガメ・オベールの日本語練習帳v_大庭亀夫の休日