“おもしろいのは、小説のスタイルによっては年表が無効なことだ。私はあるとき、私小説的な人物を私小説的な背景のなかで動かすミステリを書こうという気
を起こし、例によって年譜づくりから開始したのだが、どうも勝手がちがう。いつ学校を出て会社に入り、いつ課長になって……などと記しても、ふつうのサラ
リーマン小説の人物のようにしかならないのである。
あらためて徳田秋聲らの作品を読み直してみると、それらの主人公たちには毎日会社へ
通ったり、何時に家へ帰ったりという、通常の社会人としての枠組みがない。どんな学校を出て、どんな場所に住んで、どんな仕事をしているといったことさえ
定かでなく、名前もわからない。つまり、経歴や年譜の埒外に、いわば漂っているような人物を描くのが私小説の本質なのだと、遅まきながら気づかされた。”
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年表の話