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あれから七十年が経った。つまり、これからが「歴史」としての大東亜戦争、真珠湾攻撃研究の始まりだ。その為に、アメリカが未だ公表しない、フランクリン・ルーズベルト政権の全ての文書の公開を、日本政府は求めるべきである。
以前、スーパーマーケットの息子が外務大臣をしていて、沖縄返還時の「密約」を暴くことに執心していた。馬鹿ではないか。馬鹿である。外務大臣として、というより日本人としてやるべきことは、ルーズベルト政権の検証である。
アメリカのルーズベルト大統領は、真珠湾攻撃を知っていた。それ以上に、真珠湾攻撃を仕向けたのはアメリカである。
東京裁判では、「戦争の謀議」故に東条英機以下七名を絞首刑にした。仮にワシントン裁判があれば、正真正銘の「戦争の謀議」故に、アメリカ大統領ルーズベルトとイギリス首相チャーチルは、確実に絞首刑である。
近衛総理大臣が日米首脳会談を呼びかけた昭和十六年八月、アメリカ東海岸沖にイギリスの戦艦プリンス・オブ・ウェールズが首相チャーチルを乗せて来ていた。
そこにルーズベルト大統領が乗り込む。表向きは、大西洋憲章の発表であるが、実質、中身は、対日戦争の謀議だ。彼らはそれを、「Backdoor to The War」(裏口からの戦争)と呼んだ。
Backdoorとは真珠湾である。 Warとはヨーロッパ戦線である。
チャーチルは、日本の真珠湾攻撃の報に接し、「ドイツとの戦いが始まってから、初めてぐっすりと眠ることができた」と日記に書いた。
ルーズベルト政権の検証は、真珠湾攻撃が七十年を迎えたこれからが、日米両国にとって必要なのだ。
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- 真珠湾攻撃から七十年 西村眞悟 | 杜父魚文庫ブログ