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「江戸時代は心の豊かなエコ社会で、資本主義とは無縁」な社会とでも思っているのでしょう。大きな違いです。
当時の大坂(大阪)は、日本中から運び込まれた物資の集積地で、世界初の商品先物取取引が始まっていました。京都・大坂は両市で100万人弱の大都
市圏人口(当時のロンドンや、パリ以上)で、日本屈指の大消費地であり、この地域の「大量消費」が日本経済をけん引しました。「江戸時代は大量消費とは無
縁」というのは全くのウソでたらめです。
この消費を支えたのは、網の目の物流路です。北は蝦夷(松前)、南は琉球に至る海・陸の大物流網が整えられ、幕府の各種政策によってアジアで最初の
近代的資本主義が展開されたのは、何を隠そう江戸時代です。17世紀の段階から日本はすでに農業国ではなく、半工業国の色彩を強く帯びていたのです。
確かに人間のし尿が無駄なく循環してリサイクルされていたのは事実です。ただしそれは現代人の考えるエコロジーの観点から行われていたものではな
く、当時の農民(兼業)やし尿業者が商売としてやっていた肥料ビジネスの一環であり、資本主義的な利潤を追求して行っていたものです。江戸時代人の心の優
しさが循環型社会を作ったのではありません。
江戸時代は貨幣経済が猛烈に浸潤した時代でした。大まかにいうと東日本は金本位制、西日本は銀本位制で、それぞれが変動相場で交換比率が決定されて
おりました。しかし、全般的に京都・大坂の近畿地方が日本経済の中心地だったので、銀が優位的でした。その交換を扱ったのが江戸では「銀座」でありまし
て、いわゆる「両替商」の誕生です。当然そこから「銀行」という単語が出てきます。
「江戸時代は資本主義とは無縁な、心の優しい脱成長社会だった」みたいなイメージは、ほとんど40年前位の考え方で、現在、当然のことですが、歴史
学者でこんなことを言う人は存在していません(いたとしたら学会追放か?笑)。当たり前ですが、大学の歴史学科レベルの、近世史学の基礎でも、まずこの定
説の否定から始まります。
しかし教科書を含めた、いろいろな教材や映画やドラマ、漫画の中で、「江戸時代は農業社会で貧しかった」みたいなイメージが一般にて定着しているのでしょう。
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- 【古谷経衡】“脱成長”の手本が江戸時代という妄想 | 三橋貴明の「新」日本経済新聞