“ここでなぜ、我々がむかつくのか考えてみます。
日本の宗教観では、死んだら罪は許されます。逆に「死んで罪を償う」という考え方があります。
しかし安らかに死ねなかった場合、非業の死を遂げた人が悪霊とならないように神社に祀(まつ)ってしまいます。
靖国の戦犯も同じで、「死んだらみな仏」「神として祀るから祟らないでね」との気持ちで祀っているのです。日本人であれば納得のロジックです。
しかし外国人にしてみれば、犯罪者や反逆者を神として「神として祀る」のは信じられないかもしれません。
日本人は自分で気づかないほど、強固で独特な宗教観を持っています。
これはディープな話になるので別の機会で詳しく述べますが、日本人は決して無宗教ではありません。日本人ほぼ全員が山本七平氏が言うところの「日本教」の教徒なのです。
これは外国人と接したり、歴史・文化・宗教について深く考えた人ほど思い当たる節が多いと思います。
日本教には経典がありません。儀式もありません。宗教警察も宗教裁判所もありません。
子供が生まれたときからその「布教」は始まっており、無自覚のまま死んでいきます。
日本人は生活や仕事すべてが宗教的です。
村八分にされるのも、能力や業績で出世が決まらないのも、日本では宗教的態度が一番の問題となるからです。
日本で世界宗教会議が開かれるのは、日本人が無宗教だからではありません。他宗教も矛盾なく受け入れられる強固な宗教なので、問題にならないのです。
「自分たちの独特で強固な宗教観に日本人自身が無自覚」これが第一のポイントです。
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日本の宗教観では、死んだら罪は許されます。逆に「死んで罪を償う」という考え方があります。
しかし安らかに死ねなかった場合、非業の死を遂げた人が悪霊とならないように神社に祀(まつ)ってしまいます。
靖国の戦犯も同じで、「死んだらみな仏」「神として祀るから祟らないでね」との気持ちで祀っているのです。日本人であれば納得のロジックです。
しかし外国人にしてみれば、犯罪者や反逆者を神として「神として祀る」のは信じられないかもしれません。
日本人は自分で気づかないほど、強固で独特な宗教観を持っています。
これはディープな話になるので別の機会で詳しく述べますが、日本人は決して無宗教ではありません。日本人ほぼ全員が山本七平氏が言うところの「日本教」の教徒なのです。
これは外国人と接したり、歴史・文化・宗教について深く考えた人ほど思い当たる節が多いと思います。
日本教には経典がありません。儀式もありません。宗教警察も宗教裁判所もありません。
子供が生まれたときからその「布教」は始まっており、無自覚のまま死んでいきます。
日本人は生活や仕事すべてが宗教的です。
村八分にされるのも、能力や業績で出世が決まらないのも、日本では宗教的態度が一番の問題となるからです。
日本で世界宗教会議が開かれるのは、日本人が無宗教だからではありません。他宗教も矛盾なく受け入れられる強固な宗教なので、問題にならないのです。
「自分たちの独特で強固な宗教観に日本人自身が無自覚」これが第一のポイントです。
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