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「動詞が活用しない!」と聞いてショックを受けた学生の何人かがはっと我に返って手を上げ、「それで、誰の行為なのか、ちゃんと分かるんですか」
と聞くのも毎年のことだ。少しも慌てず、「分からなくてもいいんです」と答えて、学生にとっては初めての日本語文「tabe-masu」を板書する。ロー
マ字で書くのは、学生がまだ平仮名を知らないからだ。(平仮名はこの最初のクラスの後半からすぐ始める)
「tabe-masu」の文法説明はこうなる。「tabe」は動詞ですが、原形不定詞(manger/to
eat)のようなもので、これだけではまだ文じゃありません。これを(肯定)文にするために「masu」をつけますが、これには「誰が」を示す人称語尾は
全くありません。ここまで話してから、「さて、皆さん。この文の意味は何でしょう。仏訳してください」と質問をしてみる。
すると、騒がしかった教室は一瞬沈黙に包まれる。虚を衝かれた学生に声が出ないのもその筈、仏語では「主語が選ばれないと動詞の形が決まらず、文
が作れない」からである。この「主語によって、動詞の形が決まる」ことを「動詞の活用(人称変化)」という。日本語にはそれがないのだ。学生が困っている
ので正解を言おう。毎年、学生が目を丸くする答えはこうだ。
この文の意味は「Je mange. Tu manges. Il mange. Elle mange. Nous mangeons. Vous
mangez. Ils mangent. Elles mangent. On
mange.」のどれかです。でもそのどれかはこの文からだけでは分かりません。それを決定するのは文脈なんです。
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- 2005年11月 - 金谷武洋の『日本語に主語はいらない』